愛読書である司馬遼の「竜馬が行く」の中でいつも一番悲しいなと思うシーンがある。
亀山社中(日本最古の株式会社と言われている)時代に、長崎で竜馬が不在時に饅頭屋長五郎が隊則(海援隊のルール)をやぶり、同士に攻められ切腹して果てる。帰ってきた竜馬は、その事実を知り「俺がいれば長五郎を死なせはしなかったのに」と号泣する。
またそのルールは竜馬が創ったものなので、そのルールに従って長五郎に切腹を迫った同士を責めることもしない。
維新回天という大きなビジョンの前で、多くの様々な夢や意志や思惑を持った人々が集まって、様々な活動を経て維新はなった。
ある意味大きな夢を実現するには大同小異の考えで、大きな方向があっていれば多少の違いOKみたいな大様な感じですすむことが必要なことだ。そんな考えがあったので薩長同盟も実現できただろう。
ビジョンや方針の多少の違いに過敏になり内部分裂が起こったり、一糸乱れずみたいな組織になって柔軟性を持たず、反対意見の歯止めも効かないでは、結局早晩行き詰まる。
多少いいかげんな方が革命とベンチャーは継続するので成功確率が上がるのではと思う。
竜馬のそんなところが好きだ。