昔 ある社長に教わった言葉。
自分はどちらかというと信じやすい方、あんまり人を疑うことをしない。
幸いにして、今までの人生でホントに人に裏切られたと思うことはない。
でも、回りの社長には何度も人に裏切らられたり、だまされたりしている人も多い。
ほとんどの場合、自分だけがよい思いをしようとか、損得とかそんな思惑から人の話にのって裏切られるのだと思う。
結局は自分の信念と直感に照らし合わせて、その人を信じきるしかないのだと思う。
疑心暗鬼からは、何もうまれないし、
他人は監視できないし、コントロールすることは不可能だから。
そして、どんな結果に対しても潔く受け止める覚悟をしておくことだと思う。
今の日本って、昔のよい時代の思い出や成功体験だけあって何も変えられない大人と、大人になってからはあまりよい時代ではなく、成功体験も少なく未来に希望がもてない若者の共存状態。
こういうときは、どうしてもリスクヘッジ型の人が多くなると思う。
過去の成功体験にしばりついて、いつかはよい時代がくるからと現状を変えられない大人。
成功体験が少なすぎて、失敗するぐらいなら チャレンジしないで現状維持がよいと思う若者。
もちろん、すべてがそうではないけど。
なんだか、そういう人たちが多いと思う。
今は、よい意味での楽観主義者が必要な時代かも知れない。
まー そんなことを言うと、
「ちゃんと慎重に考えて行動しないと、また失敗しますよ」
みたいな、大人ぶった人たちや頭のよい人たちの声が聞こえてくるけど。
でも、いつも思うのは じゃー何も動かないの?
そのまま何も変えないで、すすむの?
これは時代認識や自分の人生感も影響するかもしれないけど、
個人的には、動かないことは死を意味することだと思う。
もちろん むやみやたらに動けばよいということではないけど。
自分なりに、考え、他者とも意見交換して深めて、
直観も働いているのなら、信じて動いてみるべきでしょう。
今の日本の現状は、動かないことは延命にしかならず、解決策にはならないのことが多いのだから。
多くの日本人が、現状の危機を客観的にとらえて、それでも楽観的に動ける信念やバイタリティを取り戻すこたが重要だと思う。
まず 大人が おやじが変わっていかなきゃね。
金曜日は、民主党の加藤法務副大臣のパーティがあった。
銀座の会場には300人くらいの人々が集まり、衆議院議員としての10周年をお祝いした。
リクルート時代の旧友にも再会し、また知り合いのベンチャー企業の社長とも楽しく有意義な時間を過ごせた。
翌日の土曜は、日本対オランダ戦。
六本木の居酒屋でみんな集まって応援しながら見たが、結果は残念なものになってしまった。
でも、結局デンマークがカメルーンに逆転勝ちしたので、オランダとは負けでも、引き分けでも同じになった。むしろ 2点目を取られなくてよかった。
これで今度のデンマーク戦に負けなければ、決勝トーナメントに進出だ。
試合の後、さらに飲みに行こうと六本木の交差点を歩いていたら、女性が一人たたずんでいた。
ちょっと声をかけてみようとよく見ると そこにいたのは・・・・・・。!!。
ちょっと びっくり。
鳩山さんが辞意を表明した。
民主党政権に変わってから、多くの国民が期待したが、大きな成果も出せずに終わることになるかもしれない。
確かに世論にしたがうことは大切だけど、政権を維持することにこだわるあまり、国民受けする政策を連発し、実現性や未来へのしかけが弱かったのではと思う。
どんな非難を受けようとも、将来のために本質的な解決できる政策を実現してほしかった。
消費税増税への賛成の%をみても、国民もそろそろこの国の実情に気がつき始めているはずだ。
この先国政がどうなっていくかは解からないが、軋轢を恐れず本質にむけてリスクをとる政策を実現してほしい。
昨日は、夜 マネージャーが集まっての全社課題の検討会議があった。
うちの会社は、職能別組織を採用しているので組織をまたがる課題については、各部門のマネージャーを招集して、プロジェクト化して解決することした。
そんな重たい会議のあと、ちょっと約束があって六本木に。
田舎家という、炉端焼きやに行った。
中に入ると、おそらく半分くらいが外人。
知り合いの某金融系のファンドマネージャーが、中東っぽい人と、イタリアっぽい人と、中国っぽい人と何やらビジネスの話をしている。
なんとなく話しかけないほうがよさそうなのでほっておいた。
料理は素材を生かした炉端焼きで、なかなか美味しいし、ヘルシー。
終わった後に、久々に行ったカラオケスナック。
六本木にあるんだけど、40代のママが二人でやっていて、客層も年配のかたが多く、個人的には「熱海のスナック」と呼んでいる・
カラオケにいくと最近はいつも、ファンモンとかバンプとか福山を歌うけど、ここにくると、なんとなく、オフコースとか、昔のサザンとかになる。
ちょっと、時空を超えた感じ。
六本木にいる感じがしない。
あえて、そんな感じがよいのかも。
会社の社員も大好きだし、家族も友達も好きだ。
基本的に人を信用する。でも人が出す結果には、いろいろあって簡単にあてにしてはいけないと思う。
一番いけないのは、結果をあてにして、その人ではなくその結果に影響されて、その人を嫌いになってしまうこと。
自分だってたくさん失敗するし、何回もしてれば、たまたまうまくいかないときもある。
ずーと、つきあっていけば、ずーとみてれば、やっぱり信頼できることがあるって、
わかると思う。
最近、社員と話す場をふやそうと思っている。
自分が作った会社だけど、今はみんなの会社。
新入社員には、「目的」と「目標」の違いを、いつも説明する。
でも、一番そこらへんをはっきりしなければいけないのは、自分なんだろうと思う。
なぜならば、自分は
リーダーだから。
その基準から、会社のこと、みんなのことを考えなければ嘘になる。
自分のための、相手へのやさしさや配慮は、伝わらないし
力にならない。
ならば自分のため、みんなのため、その目的のために、、こうしてくれと言える
勇気が必要なんだろうと思う。
今日は、久々に自分の母親も含め、
みんなが家にいた。
夕食後いろいろな話をしながら自分も最後まで、珍しくリビングにいた。
で、家族をみながら、いろいろ考えた
ゴールデンウイーク最終日。
ずっと、考えているけど、答えがでないことがある。
やさしさってなんだろう。
相手のためになるってなんだろう。
自分以外の人のことを考え、そしてその人たちの幸せを願う。
そうできる自分を創造し、自分がまた達成感や成長感、満足感を得る。
「やさしい人は、裏を返せば最も、いじわるな人になれる」
以前 ある友人に言ったコメントだ。
本当のやさしさは、一人ひとりに対する理解の上になりたつものだから
だから、どうすればやさしさが伝わるかがが解かっている。
裏返せば、どうしたら一番傷つくかがわわかっていること。
だから、やさしさといじわるは表裏一体。
相手のことを何も考えずに、自分だけの快感や達成感を得れる人。
ある意味、そういう人がうらやましく思えることもある。
そして次に多いのは、相手のことをある意味表面上は考え、私は相手のことを考えている。
私はそういう風に接している。
と思いたい人。
いわゆる 私は相手のことを考えて 迷惑かけないように ちゃんとしているよね
という、
やさしさのレベル。
でも、もっと先にこそ本当のやさしさや、配慮があると思うけど。
なかなか しっくりこない。
やさしさと強さは、
たぶん共存すべきもので。
強さがないとやさしくなれない。
また、本当の意味でやさしくなるためには、
視野の広さや、能力も必要になるんだと思う。
何故ならば
やさしさは、ただの気持ちではなく
具体的な行為だから。
相手のためにと自分の周りの人たちのことを考えるたびに
まだまだ
答えは見つからない。
とりあえずは
信念と
その時の直感で判断していくしか
ないのかな。
人は一人では、生きられないから
人との関係において
結局は自分の存在を確認するものだと思うから
すべてを手に入れても
一人きりなら
幸せは感じないのだと思う。
やさしくしたいと思う対象がいることに
感謝したい。
大河ドラマでやっている竜馬の時代。幕末には日本人という概念をもっている人はまだ少なかったようだ。
生まれた育った地域を出ることも少なく、内向きな状態でいた人たちにとってはあくまでも土佐人や長州人、薩摩人という概念の方が普通だったかも。
竜馬はその中で少ない日本人という認識をもった若者だったのだと思う。
先週の水木と、お世話になっているつなみさんのイベントに行った。
テーマはずばり「エコ」と「アジア」だったと思う。
実際、この二つのキーワードがこれからのビジネスにかかせない。(以前にも書いたけど)
元ユニクロの社長や、DeNAの社長ほか著名人のパネリストによるパネルディスカッション。
台湾のビジネスシーンを題材にアジアについての現状が語られた。
過去のいくつかの成功体験とそして失敗体験によって、あまりにも保守的になってしまった日本。
なんだか話を聞いていて、アジアが当時(幕末)の日本で、日本はあまりにも保守的になってしまい過去の成功体験にしがみつく江戸幕府に見えてきた。
たぶん坂本竜馬は日本からは出現しないのではと思う。
もう、日本という概念でなく、アジア人としてどうすべきかを考える時代になっているかもしれない。
そんなことを考えて、今日は久しぶりに上海の友人と会った。
昔ばなしを少しして、今後の予定を確認しあい、帰路についた。
今日は次男のぞむの中学の卒業式だった。
終わったあとに打ち上げがあったらしく、そのままずっと帰ってきてないらしい。
と、思ったら 今この時間(23:56分)になっても家の前で、女の子も含んで6人くらいでずーとおしゃべりをしている。
たぶん 男の子の友達はうちに泊まるのかな。
まー 思い出の一日だし。なんだか今日という一日が終わっちゃうのがもったいない感じなんだろうな。
父への手紙というのがあって、その中に、
「父はいろんな話を熱心にしてくれました。まだ父の言っていることがよくわかっていないところがあります。これからもお世話になりますが、僕も親孝行したいと思っています。これからもよろしく」
と書いてあった。
そんなに 熱心に話したっけかな・・・?
手書きなんで 親孝行という字がちょっと間違っているけど 大丈夫かな・・。
などと思った。
ともかく無事卒業できてよかったね。
中学1年の時、卒業コンサートで先輩がギターを弾いているのを見て、どうしてもギターが欲しくなった。
自宅の駅のそばの楽器店にいって、外から眺めるといろいろなギターがおいてあって、それを見ているだけでワクワクした。
新聞配達のバイト代と、当時まだいたオヤジが珍しく競馬であたってくれたお小遣いで、楽器屋ならぬ中古品屋にあった4000円のギターを買った。
ひどいギターだったけど、嬉しくて
毎日弾いてた。
あっという間に左手の指先がカチンカチンになった。
高校1年の時、どうしてもバイクに乗りたくなって、友達はもう免許もとって乗っていたのであこがれていた。
お金ないから買えないけどバイク屋に行って、でも新品は絶対無理だから、これも中古屋にいって眺めたり、さわったりしてた。なんだかほおずりしたいくらいの感じでワクワクしてた。
喫茶店のバイト代と、毎日の昼飯代を節約して、教習所に通い、自動二輪の免許をとった。
残ったバイト貯金と、たまたまパチンコで大勝ちしたお金が入ったので、中古屋に走っていって9万円のヤマハのRD250を買った。
今思えば 2サイクルのおんぼろバイクだったけど、内緒で通学にも使ってたし、学校帰りによく湘南の海まで走りにいった。
別に暴走族ではないけど。伊豆とかにツーリングによくいった。
大人になって、リクルート時代にまだみんながあんまり持っていない頃にパソコンにはまった。
PC98 一太郎 MS-DOSの時代だ。
パソコンで何かをするより、パソコン自体が面白くて、ハードディスクの初期化とかメモリーの増設とか、DOSのコマンド覚えたりした。パソコン雑誌もいつも見てた。
今思えば、なんであんなに面白かったんだろう。今はさっぱりわかんなくなっちゃったけど。
社長になって、DTM(ディスクトップミュージック)にはまったときがあって、シーケンサーソフトを買ってきて、昔作った曲とかを打ち込んで、いろいろと編曲したりして遊んでた。
飲みにいくよりこっちの方が楽しくて、仕事が終わるとまっすぐ飛んで帰って寝るまでやってた。
何かにワクワクして、何かがどうしても欲しくて、それを研究したりしているときって楽しい。
いつも 何かそういうものを持っていると人生が面白くなると思う。
もちろん仕事がそのくらいワクワクしているのが一番楽しい。
そういう感じで今までも来たし、これからもやって行きたいと思う。
今日は長女みらい(大2)の二十歳の誕生日。
だけど本人はスポーツクラブのバイトに行って、まだ帰ってこない。
おばーちゃんが作ってくれた、ケーキがあるけど。
みらいがまだ生まれる前、お腹の中にいるときから、今の会社の設立の準備をしていて、みらいが生まれて半年くらいたった10月にリクルートを辞めていまの会社の社長になった。
ということで私もあと半年くらいで社長暦20年になる。
創業期のめっちゃ忙しいときに彼女がいることでずいぶん心が癒された。
周りの人には家族が出来て、そんな大変なときによく独立とかするな、とよく言われた。
昔 タイル屋の営業をやっていたときに世話になった社長がいて。
その人も20代前半で結婚して子供も出来て、独立もして みたいな人生だった。
その人が言ってた言葉
「男は守るものが出来て、それでも自分でリスクをとって生きて行くのが大変だけど本当にかっこいいんだ。守るものがなくて、ただやんちゃに生きているのは、本当はかっこよくないんだ」
まー 私の場合はだいぶ結果論でそういうことになっただけだけど、会社を始めたばかりの頃はよくこの言葉を思い出した。
来月の資金繰りがあぶない どうしよう・・。
それが そのまま生まれたばかりのみらいちゃんの生活と直結する感覚をもちながら、なんとかせねばと思い、実際なんとかした。
そんなこんなで20年。
大きくなったもんだ。
今は、「パパ トイレ入ったら電気消してよ!」とか、
怒られてばっかりだ。
最近 周りに仕事とかでいろいろと大変な人が多い。
年度末が近いのもあるのかな。
いろいろと相談を受ける。
つい まじめに相談に乗ったり、対応したりしてしまう。
いつも会っている人ならよいけど、久々の人だったりするとその時に出来るだけのことをしておいてあげないと、きっと何もしないと思うから。
その時の全力をしとかないと なんか気持ちが悪い。
でも、そんなこともほどほどにしないとなと最近思う。
うちの会社は、2月が年度末。
来週から、新しい年度に入る。
今年はいろいろとやり直しの年だったから、来年は再度成長へのスタートにしたい。
最近 周りに仕事とかでいろいろと大変な人が多い。
年度末が近いのもあるのかな。
いろいろと相談を受ける。
つい まじめに相談に乗ったり、対応したりしてしまう。
いつも会っている人ならよいけど、久々の人だったりするとその時に出来るだけのことをしておいてあげないと、きっと何もしないと思うから。
その時の全力をしとかないと なんか気持ちが悪い。
でも、そんなこともほどほどにしないとなと最近思う。
うちの会社は、2月が年度末。
来週から、新しい年度に入る。
今年はいろいろとやり直しの年だったから、来年は再度成長へのスタートにしたい。
日本の場合、高校までって1年でも遅れるとなんだかもう落伍者みたいな感じになる。
高校浪人とか、落第とか。病気で学校1年いけなかったとか。
大学は浪人する人も結構いるので、そこらへんから1年くらいの違いは普通になってくる。
そして社会に出て20代では、2~3年の違いも許容範囲になってくる。
そして30代、40代となると もう数年の違いは同じようなものだ。
長い人生の時間割りで考えると、最初の10年死ぬほど働いて、後はゆうゆうという場合もあるだろうし、若い頃はあんまり頑張らずに、後でがむしゃらになってみたり。
より道したり、ちょっとモノトリアムな期間があったりした方が、長い目でみると人生に深みが増すことも多い。
何でも同じ期間、基準で比べられて、それに遅れるとかっこ悪いみたいなメッセージを忘れて、自分なりの時間割で生きてみるのもよいと思う。
エムエムは2月末が年度決算。
今日は、最終月2月の全社員総会が、19:00~コールセンターを会場にして行われる。
1月の振り返りと、今年度の最終予測。
もう一頑張りで、最低限の着地になりそうだ。
今期から事業を統合して、1事業制に。組織改訂も行った。
来期からの新しい成長へ向けた準備の1年間だったといえると思う。
よい結果を出して、来期にのぞみたい。
昨日帰宅後家で、ニュース系の番組を見ていると、
「朝青龍引退」
「小沢一郎不起訴」
この2つのニュースがほとんどだった。後はトヨタのプリウスのブレーキの話かな・・。
個人的には朝青龍のやんちゃな感じが好きで、引退は残念。毎場所の白鳳との大一番が見れなくなるのかと思うと寂しい気がする。
土俵上では天敵だった白鳳が、朝青龍引退を聞いた記者会見で涙を流していたのが印象的だった。
来場所から一人横綱でやっていかなければならない重圧感からか。
一方小沢さんは、結局不起訴になり、このまま幹事長を継続するらしい。
小沢さんは確かに見てくれは良くないが、自民党を壊し新しい政治の枠組みをつくったころから個人的には嫌いではない。政治家としては優秀な人なんだと思う。
朝青龍と小沢一郎。
スポーツアスリートとして、政治家としてはともに優秀。
でも、横綱の品位、政治家としてのイメージや品行方正さでは、ともに不評なのだと思う。
多くの人々はマスコミの報道を通じて、有名人には完璧なことを求める。
相撲が弱くても品位のある横綱。
品行方正で、日本を変えられない政治家。
どちらを選ぶかは、私たち次第だと思う。
マスコミはすぐに、有名人の一つの弱点や失敗を100倍にして報道する。
その時はその人がした功績にはほとんどふれない。
見ている私たちが、ちゃんとした目でみないといけないのだと思う。
私個人的には、相撲の強い横綱と日本を変えられる政治家がよいと思う。
いつかの欠点がや失敗があったとしても、それが本質なのだから。
昨日 7年前に私が営業の勉強会をやったときに参加されたある大手通信系企業の関連会社の方がご来社された。
ある商品のマーケティングの件についてのご相談を受け、エムエムとして提案することになった。
ずいぶん前すぎてその勉強会自体を失念している部分もあるが、当時頼まれるといろいろなところにいって勉強会の講師を無償でしていた。(今もやっているが)
特にすぐに商売に結びつくことを狙っているのではなく、我々の会社・事業の考え方を理解してもらへる人が一人でも多くなること、また私がお話することで多少なりとも役に立てればという思いでやっていた。
いつも思うことだが、ビジネスライク的に考えすぎると目先の損得ばかりで。自分の行動を判断してしまいがちだ。
自分の今までを振り返ると、多くの場合転機となるチャンスや情報を持ってきてくれた人、またピンチの時に救ってくれた人は、その時よりも何年も前に出会いがあり、その後も目先の損得ではない価値交換や本音のキャッチボールを繰り返してきた人たちばかりだ。
今 目の前に困っていて相談してくる人や、何かをして上げられることがあるのであれば、それはそれで小さな損得を考えるのではなく、出来るだけのことをするべきだと思う。
結果的には何年もたってから、そういったことの積み重ねによる縁がプラスになって戻ってくる。
「情けは人のためにあらず」という言葉があるが、これを間違って理解している人は多い。
変に人に優しくすることは、その人のためにならない という意味ではないのだ。
正しくは、人に情けをかけることは、いずれ自分に戻ってくるから自分のため という意味だ。
「竜馬が行く」に出てくる話だが、竜馬が知り合った飲み屋の女性のかたきうちに 竜馬が真剣に相談に乗り、命がけで助けるシーンがある。
竜馬の隣人が
「天下国家について奔走している竜馬がさんがそんな事で命を落としたらしょうがないじゃないですか」 と言うと。
「人は風呂場で転んで死んじゃうこともあるし、かと思えば死地と思われる戦場でも死なないこともある。そんな事を気にして、目の前にある困っている人を助けられなければ、どうせ大事など 成し遂げられる訳がない」と、一蹴してしまう。
損得ではない価値観をもてる人が、大事を成す人なのかもしれない。
今 上場してネット広告の最大手になったオプトの鉢峰社長は創業以来の知り合いだが、創業まもない頃、いつも「何か困っていることはありませんか?僕が何が手伝えることはありませんか?」と言っていたのを思い出す。
今日は午前に、歯医者に行った。
歯医者について、待合室に入るとびっくり。まっている患者さんは高齢者の方ばかり。
車イスの人も二人くらいいた。どう見ても平均年齢70歳オーバーだ。
待つこと45分。(この歯医者は、家の近くでビジネス街ではないので、なんだか時間がいいかげんで。予約していくのに、いつも1時間くらい待つ)
受付の人が「渡辺さーん・・」と、呼ぶ。
誰も 応えない
再度「渡辺さーん・・。」
5分くらいたって、また受付の人が「渡辺さーん・・。」
すると、私のとなりにいたおじいさんが「は はいい・・」と返事。
えっ さっきからいたのに・。聞こえなかったのかな?
受付の人が、清算して薬の処方箋を渡している。
「これは、何ですか?」と、おじいさん。
「これは処方箋で、お薬をもらってください」と、受付嬢
「お薬はどこで」と、おじいさん
「ここを出て、左に曲がって、また左にいくとありますから・・」
「はあ、解かりました。で、お金はいいんですか?」と、おじいさん。
「お金は、もうもらいましたよ。これがレシート」と、受付嬢。
「はあ、で これは何ですか?」と、また処方箋をもって質問するおじいさん。
「これは、お薬もらう紙で、薬局でもらうんですよ」と、受付嬢
「で、薬局はどこですか・・・」と、おじいさん。
うーん どうどうめぐりで終わらない。
何回かくり返し、やっと理解したようで、おじいさんは歯医者を出て行った。
なんとなくほっとしてまた待合室でまっていたら、なんとおじいさんがまた戻ってきた。
「すいません。これは、どうするんでしたっけ?」と、また処方箋を出して、たずねるおじいさん。
「これはね・・」と、怒る訳でもなく説明する受付嬢。
結局同じタイミングで薬を買いに行く、もう少し元気そうなおじいさんが薬局まで連れて行くことに。
たぶん、認知症なんだね。一人で出歩くのは難しいのではと ちょっと思った。
普段都心で働いているとあんまり感じないけど、地元の多摩にいると、やっぱり高齢化が進んでいると思う。
治療が終わり(今日はあんまり痛くなかった・・)席に戻ると、となりの80歳くらいのおばあちゃんから
「若い人はいいはね。あたしゃ あんたの年のころは虫歯なんかなかったけどね」と、言われた。
いったい私はいくつに見えるているのだろう。
会社にくるとあるコンサル会社の人から、新しい年金の仕組みである
「確定拠出年金401k」の営業を受けた。
さらに高齢化がすすむこの国。
いつかは自分もそうなる。
多くのお年寄りと若い人が共存し、幸せなかたちの国を本当につくっていけるのだろうか・・?
なんか、そんな事を考えた。
1週間くらい前からか、急に歯が痛み出した。
確か15年くらい前に半年くらい歯医者に通いつめて、そのとき良くなかったところを全部治療した。
親知らずが一本残っているけど、それ以外は全部抜いたし。
ちょっとあった虫歯も治し、クラウンかぶせたり、インレー入れたり。抜いちゃったところは一本義歯にしたり。(いちおう高校出て最初の職業は、歯科技工士見習いだったので多少は詳しい・・)
それ以来15ぶりの歯医者。
ずいぶん設備も変わり、席の前にはパソコンのディスプレイみたいのがあって、撮ったレントゲン写真がすぐに見れて、治療の説明とかを受けられる。
かぶせたクラウンの中で虫歯が進んでいたようで、再治療が必要だとのこと。
たいしたもんだ・・。
治療が始まって、あの「キーン・・・。」という、やな音。
口の中で、何かがはじけて「ガガガガっ!」
それとともに、ずいぶん忘れていたあの歯医者の痛みが襲ってきた。
思わず 左手を上げると、麻酔をうってくれて、だいぶ痛みは軽減した。
今日は、かぶせてあったおクラウンの除去と神経の治療。
しばらくは通わなければならないようだ。
しばらくまた この痛みと付き合うのか・・。
先生が 優しそうな女性だったのは よかったけどね。歯科助手の子も可愛かったし・・。
相変わらず風邪が治らず、熱はないけどのどが痛くて、声がガラガラ。
今晩はおとなしく、夕食が終わると屋根裏部屋で一人で寝ながら、読書とテレビ見てた。
CS放送の番組欄を見ると「地下鉄(メトロ)に乗って」がやっている。
浅田次郎の原作が映画化されたもの。本は読んで内容は知っているので、やばいかなっと思ったけど。つい見てしまった。
案の定 ちょっとボロボロに。最近ちょっと涙腺が弱いかも。
個人的な事情があって、父親(おやじ)×家族系の話はやばい。
ちょっとファンタジーが入っていて、地下鉄にのってタイムスリップして大嫌いだった父親(おやじ)の、若い頃の生き様を目の当たりんして、だんだん認識が変わっていき、最後はちゃんと見取ることになる。
JIN以来、大沢たかおのファンだが、容疑者Xの献身でよかった堤の演技もよい。
少し心が洗われた気分。
このまま体も洗われて、風邪菌がなくなり、明日には復調したいんだけど。
どうかな・・・・・。
ともかくゆっくり休もう。そしてまた明日。
昨日の夜からちょっと寒気とのどの痛みがあってあぶないかなって思っていたら。
やはり朝計るとちょっと熱があった。
花が詰まって、よく寝れなかったし、一昨日のスポーツクラブでやったスカッシュと筋トレの筋肉痛もひどくちょっと体調不良。
なので本日は、どこにもいかず一日家で寝てました。
アメブロにいろいろと登録したり。本を読んだり。
社会人になってから病気とかで長期に休んだことはないが、一度だけ11日間寝込んだことがある。
病名は「みずぼうそう」
子供のころにやっていなかったらしく、自分の子供から感染して大変。
高熱が続き、発疹がからだじゅうに出来て、かゆくて眠れない・・・。
しかしこの時はゴールデンウイークの9連休のときで、連休に入る一日前に発病して、連休後1日で復帰したので、結局会社は2日しか休まなかった。
なんだかもったいない感じもしたし、なんてまじめな体なんだろうと思った。
明日から仕事。
今日は暖かくしてパブロン飲んで寝る。
10何年前に、7つの習慣を読んでから、毎年ミッションステートメントを正月休みに書き換えている。
ミッションステートメントとは、自分の憲法みたいなもの。1年いろいろな生き方をすれば、すべてがうまくいく訳ではない。だからこそ自分が戻る場所が必要だ。
自分はそもそもどうしたかったのか、何のために生まれどう生きていこうとしているのか、そのために何を大切にしているのか?
都会の喧騒にもまれ、日々生きていると、なんだかわかんなくなっちゃんうんだよね。
書き始めた10何年前は、自分に書く言葉なのに、テレや、嘘や、誇張があったりして、毎年だめで書き直していた。それも5年前からはあんまり変わらず、ちょっとした修正ですむようになった。
今年も一文足しただけ。でも毎年の目標はいつも変わるから、ちゃんと考える。これをすると、目的と目標の違いがはっきりする。
目的はそんなに毎年変わるものではないが、目標は変わってよいからだ。
いつもどうり、ひとりで会社にいって、3時間くらいいろいろ振り返り、新しいミッションステートメントを作り直した。
いつも、不思議に思うのは、ちゃんとミッションステートメントを創って、日々見るようにして、それを毎年作り変えたほうがよいよと誰かに言うと、みんな「そうですね!」と言う。
でも、この10何年間それを伝えてもちゃんとやっている人は見たことないし、結局自分だけだね。
いかに人が日々流されて生きているか、それを自覚できているか、だからこそ戻る場所を作ることが必要なのに・・・・。
そんなことを考え、会社で新しいミッションステートメントを作り、ちょっとプライベートの新年会に行って、家に帰った。
帰ると竜馬伝がやっていて、(それに間に合うように帰ったけど)、福山の竜馬を見た。
自分の力のなさ、わかっていないことを認める強さ、そんな等身大の竜馬が、福山の演技から伝わってきた。
本当に強いことは、認めること、どうしてもしょうがないことはあきらめること、そしてどんな奴にも理解といとおしむ心を持つこと。
どうしたら、そんな人になれるんだろう・・・。
魅力的な人、何故か愛される人を福山は演じようとしているらしい。
大好きな竜馬だから、感じて、見守っていきたい。
みらい(長女19)はバイト先の人と飲みにいったらしく帰ってこず、のぞむ(次男14)は、ごはん食べてすぐ部屋に入っちゃったから、みなと(長男18)とかみさんと3人で、食事の後話した。
うちでは、家事は子供たちが分担しており、洗濯、掃除、洗濯ものたたみ、アイロン、皿洗いは子供たちの仕事だ。その対価として彼らは月に1回お小遣いをもらっている。
家事の対価ではない、お小遣いはあげたことがない。
みなとは今は皿洗い担当。さらにのぞむが受験のため他の仕事も引き受けている。
彼は小さい頃から、この家のバランサー的な役割を果たしており、いつも周りが勝手なことを言うと、
「あっ じゃあ それ俺やるわ!」とか、言って引き受けてしまう。そうして皿洗い担当にもなった。
食事のときの席も、いつも冷蔵庫のそばで、みんなに「あれとって」とか言われると、もくもくととってくれる。
でも「この場所って、とりやすいからいいんだよね」とか言っている。いい奴だ。
そんな彼が、「なんだか今日は、このまま部屋に戻ると皿洗いしない感じがする」とか言って食卓を去ろうとしない。
「なんでみなとは、皿洗いしたくないんだろう。したくないのか、それともしようと出来ない自分がいやなのかどっちなんだろう?」みたいな、問いかけをしたら、いろいろと話すことになった。
私が「すべてのことには理由とか意志があって、そのためなら多少のことも乗り越えていけるよ」
「大きな意味や目標があれば、多少の苦しさやつまんなさは我慢できるじゃん」
みたいな話をすると。、パパとかは、仕事がいやなときはないの? がまんしてしょうがないっておもってやっていることってないの? みたいな話になった。
ほとんどのことは選択が出来て(自分の中では選択の余地がないように思えているだけ)、要は、選んだことを「いやだけどしょうがなくてやっているのか」
それとも
「いろいろあるけど、自分の意志や目的のために選択してやっている」って、思えて言えるかどうかが大切なんだよって話した。
「みなとって、なんで皿洗いしているの、お小遣いのため?」
「たぶん そう でもどうだろう。なんか皿を洗わないでいると、きたないままの皿が可哀想だし、もし俺が皿洗わなかったら誰が洗うんだろう。」
「それって、ちゃんと皿にも感謝しているとか、この家にも役に立っている、むしろたちたい みたいなみなとの意志もちゃんとあるんじゃないの?」
「そうかも・・」 とみなと
「それって 大人になるってこと?」と また みなと
「違うよ 大人でもそう考えられてない人も多いけど、若い人や子供でもそういう人はいるよ。要はどう考えるかだよ」と 私。
「そうだよね」と みなと
みなとは18歳 いろいろと悩んでいる。でも彼は、ちゃんと悩もうとしているので偉いと思う。
時間がかかるかも知れないけど、みなとなりの答えをみつけて欲しいと思う。
そんな 話が出来た 時間が楽しかったよ。
明けましておめでとう。
2010年になりました。2009年はいろいろとあった年でした。
いろんな出会い、変化、刺激、混迷・・・・。
変化を抜けて、確かな成長の1年にしたいですね。
今年 起こる いろいろな 出来事へ・・。今年 出会う いろいろな人々へ・・。
よろしく!
帰ってきたら、みんな大掃除してる。
なんだか家の中に居場所がない感じ。
大晦日って、一年で最後の日だから、いろいろなことをいいかたちで終わりたいと思うけど。
なかなかそうならないことも多い。
なんか最後だからって、思うわないほうがよいのかも。
自然体が一番なんだけど、これがなかなか難しい。
まだまだ修行がたらんなと想いつつ、新年を迎えます。
これから今年最後の9キロ散歩に行ってきます。
それでは皆さん よいお年を・・・。
NHKのスペシャルドラマ「坂之上の雲」の第一部が終了した。
第2部は来年の年末にまた、放送されるようだ。3年かけて撮影している内容を、また長い時間にわたって放映するようだ。そして来年の大河ドラマは「竜馬伝」!福山雅治演じる、坂本竜馬。
昔から歴史小説それも幕末ものが大好きで、司馬遼太郎を含めほとんど読んでいる。
それこそ「竜馬が行く」は、おそらく計8回以上は読み返し、部分的には暗記しているところもある。
また竜馬の出身地の土佐の桂浜には、自分の人生の転機と思えるときに2回行っているし、新婚旅行は、神戸海軍塾跡、松下村塾跡、長崎丸山社中跡などを中心に史跡を訪ねた。
「坂之上の雲」は、伊予松山出身の3人の若者の話。いずれ日露戦争で活躍する、秋山好古、真之兄弟と、俳句の正岡子規だ。
「坂之上の雲」のタイトルは、当時の日本が明治維新から西洋の列強に追いつこうと、懸命に成長を続けていこうとする姿を意味している。
坂の入り口で上を見上げると、坂道の上に広がる青い空。そしてそこに浮かぶ真っ白で明るい雲。
目前に広がるそんな情景を目指して、一歩一歩前向きに進んでいこうとするひたむきさを感じるタイトルだ。
幕末に活躍する多くの若者も、国のため、人のため、家族のため、好きな人のため、自分の信念のために、命をかけ、がむしゃらに進もうとうする。
そんな若者がこの国には当時多数存在し、明治維新を実現させ、明治での奇跡的な発展をカタチにした。
そんな歴史の中に登場する人々が私は大好きだ。
今、混迷の日本の中にそんな人たちが必要だし、実は多数いるのだと思う。そんな人たちの活躍がもっと、もっと実現すればと心から願うし、また自分もそうありたい思う。
社内ではすこしずつ大掃除をすすめている。
ちょっとはやいが、クリスマスにISOの審査員が来社されることもあり、社内のチェックもかねて少しずつすすめている。
今日出社してみると、机の周りが、なんだかいつもと違う・・。
よくよく見ると、机の上の配置が変わっている。
秘書のPちゃんが、整理整頓してきれいにしてくれたらしい。
椅子の後ろにおいてある、坂本竜馬の銅像もピカピカになっている。
なんとなくいいかげんに置いてあった、いくつかのぬいぐるみ(癒し系グッズ)も
本棚の上に整然と一列に並べられ、全員がこちらを見てる。
なんだか、ちょっと怖い・・・・。
机の下にあった、お泊まり用の着替えとか、子供のサッカーの写真とか、何気においてあった、●●クラの女性の営業写真とかも、整理され場所が変わっている。
ちょっと、すべてを見られて照れくさい感じ・・。
でも、さっぱりして仕事しやすそうだ。
ありがとう。
ある人に思っている印象と、ぜんぜん違うことをその人の友人から言われた。
その人は賢明に生きていると思っていたが、その友人が言うには、今は増長していて傲慢になっていて、すべて計算で人を操っているという。
そんな話を聞くのもいやだけど、そういう風に言われてしまっているその人も悲しい。
いつもそう思うが、いかに2面性をもたないで生きるかが、人との信頼関係では一番大切だと思う。
口にだしていることと実態が遊離していることに気がついたとき、もうその人に対する信頼残高はもとにもどれない。
自分に対する自信もなくなっていくのだと思う。
考えていること、話すこと、行動が誰か見ても一貫性のある自分でいたい。
11月が終わり師走に入っている。
11月は、12走15飲(12回運動して、15回飲んだ)だった。
過去の3ヶ月を見ると、
8月 22走15飲
9月 26走12飲
10月 21走17飲
となっており、運動が飲みを上回っていた。
しかし、11月は3ヶ月ぶりに飲みが運動を逆転。
雨の日が多くて、毎日やっている9キロ競歩が出来ない日が多かったのと、ちょっといろいろあって飲みすぎた。(二日酔いで次の日歩けないこともあった)
12月は、そうでなくても飲みの機会は増える。
今日は、すでに9キロ歩いているし、夜はフットサルがある。でもその後は飲み会だ。
今年の残りを全力で走り、また楽しみたい。
新卒の説明会や研修でもよく「目的」と「目標」の話をする。
就職することはひとつの目標にはなるが、人生の目的ではない。ちゃんと自分の人生の目的と照らし合わせて、自ら選択するこがとても重要だ。
目的と目標を同じように使う人も多いが、目的は最終的なゴールで、目標はその為に設定する標(しるべ)にすぎない。その目標を達成することで、目的の実現に近づくということだ。
ここがちゃんとしてないと設定した目標を達成しても幸せにはならず、一縷の自己満足と虚しさが残るだけになる。
ここを間違えて不幸になってしまう人は多いし、過去にたくさんそんな姿を見てきた気がする。
幸せな家族を創造することが目的なのに、その為にマイホームを建てる目標を立てて実行して、そのために生活が逼迫して家族が崩壊したり。
彼女と結婚して幸せになる目的のために、少しでも収入を増やそうと営業の仕事に邁進して、営業マンランキングで上位になるために、彼女と会う時間が取れなくなって、結局別れてしまったり。
気がつかないうちに、目標が目的になり、目標達成のための手段が目標に摩り替わっていたりする。
だから定期的に自分は何のためにそれをしているのかを確認することが必要だと思う。
最近「7つの習慣」(自分のバイブルみたいな本)をまた読み返した。もう8回目くらいだと思う。
少しでも自分のやっていることに疑問を感じたときは、一度立ち止まって自分に問いかけてみることも必要だ。
自分がよい状態でピュアに自分自身の人生と向き合っていたときの決意が、よみがえってくる気がする。
遅ればせながらの新卒採用を今真っ最中で行っている。ちょっと新しい手法での秋採用だ。
また最近経営者になりたいと言う人と会う機会が何度かあった。彼は経営者として生きていけるだろうか?
採用や相談を受ける場面で人を評価することは本当に難しいが、なんらかの見方でその人を見ることになる。最近気になるのが、リアリティとロマンチズムのバランスだ。
同じ20代前半の若者でも六本木とかに行って、若いときから苦労して働いている人と接するとそのリアリティに、年齢以上のものを感じることも多い。ただ、あまりにもリアリティが顔に出すぎていて、全うな夢を持てなくなっている若者も多く、それはそれで悲しいと思う。
一方それほど苦労をしらない若者は、夢と理想を口にするが、話を聞いていておそらくこれは早期に実現しないだろうし、終わってしまうだろうなと思うことも多い。
現実的なことが出来ないと、仕事は出来ないが、夢がないと人はついてこない。
そんな中で、心の中にはちゃんとした全うな夢を持ち、そうは言っても目の前の現実とちゃんと向き合い、真摯に対応していこうとしている人と出会うと、嬉しくなる。
生きていくには夢も現実も両方必要だ。夢だけでは食べていけないし、現実的な生き方だけでは、おそらく幸せになれない。
一般的には、女性は防衛本能からか現実的で、男子はロマンチストが多い。
個人的には心の中は6対4くらいで、ロマンチストな部分が多いが、逆に行動は現的な男。
また逆に心の中は6対4くらいでリアリストだけど、逆に普段はロマンチストに見える女子。
そんな男女がよいと思う。
あくまでも私観ですが・・・。
最近まだ準備室ではあるが、新規事業に取り組んでいる。まだ人数は小規模だがマーケティングリサーチを行い、市場の動向を感じ、今後の打ち手を決めていく段階だ。
変な話、何回も失敗しているので、そこらへんの感覚はある。自分が作ったプランに思い込むあまり、早期に勝負に出ると、いきなり頓挫することも多い。
やりながら必ずある想定外なことに、柔軟に対応していくことが肝要だし、その時間をちゃんととれるような資金的な準備も必要だ。ただ、あまり時間をかけすぎると危機感がなくなり、大手が失敗する新規事業みたいになる。想定資金を決めて、足らなければ、やっている人間が経費を落とすか、何を売っても資金をつくり回すぐらいの覚悟が必要だ。
でもともかく、主体的にやりながら、一方ではさめた自分の客観的な思考が大切になる。
自己客観性と視点について2つの話。
ひとつは「人口衛星の目」と「アリの目」
地球の地面にあるある物体を、アリの視点で見るか、人工衛星の視点でみるか。
自分の見方は絶対的に見えてしまうが、見る側によってそれくらい違いがあるということを認識するということ。答えはその人、一人ひとりで違う。
もうひとつは、「想像するとき自分を視野に入れる」
打合せや、お客様との商談場面などを頭の中で振り返るとき、相手の顔を見る、自分の視点でなく、自分の上、そう天井のあたりからそれを眺めている感じで、自分の映像も想像しながら振り返る。
そのことによって新しい発見がある。
喫茶店やレストランで人と話しているとき、ふと目をやるとそこに鏡があって、映し出された自分の姿と、自分が思っていた姿のギャップに、ショックを受けた経験のある人もいるかも知れない。
「自己客観性 遠い古代の昔から、人の永遠のテーマかも。
長男と次男がそれぞれ今年度進路の選択を迫られている。
それぞれ高校3年と中学3年。普通に言えば、受験なんだろうけど、我が家は自由で自己責任なカルチャーのため、必ずしも受験しなくちゃいけない訳ではない。(少なくとも私はそう思う)
以前政治家と社長の集まる会合で、今の教育に必要なことはと聞かれて「選択肢の多さとやり直しの利く仕組みと文化」と答えた。
今の日本の教育だと少なくとも高校3年までは、みなと一緒でないとすでに違和感をもたれる。イワユル落ちこぼれ的な感じ。
大学受験時にはじめて浪人がある程度一般的になる。そして社会に出て30代、40代になると2~3年の年齢差や卒業年度の差はそれほど意味をもたなくなる。
そこにいたるまでに、1年の差を違いではなく、遅れと考える教育を死ぬほど受けているので、そういった概念を打ち壊し、柔軟な発想や、周りに対する見方を覚えるのに苦労することになる。
中学卒業で大工の修行にでて、やり直しで高校に入りなおして、3年遅れで受験とか。進学高から一転して料理の修業に出てみるとか・・、。そういったことがもっと自然に起こって、またそれを寛容する大人たちが増えればよいのにと思う。
エムエムで社員を採用するとき、一度オフコースした人材には注目することが多い。規定の路線から離れた人生を送ることで、自分のそれまでのすごし方を客観的に見たり、自己対話する機会が訪れることが多いからだ。そういった経験に裏付けられた考え方は、ただ世の中の流れやはやりに対応したものの考え方をしてきた若者くらべ強く、深いことが多い。
何はともわれ選択枝をいくら広げても、それを理解しまたやり直しをすることを本気に受け入れる大人たちが増えなければだめなのだと思う。
日本でベンチャーが育たないのも、そんなところに原因があると思う。
先週の木曜から名古屋に出張に行った。
名古屋では、リクルートの先輩や仲間の上場企業のトップ3名が、パネルディスカッションを行い、それを見学にいった。
おそらく一般の方々には、とても個性的な社長たちに見えたに違いない。わかしゃち会と言われる、名古屋地区の社長の集まりでの会合だったが、熱気に包まれよい会になった。
翌日は、桑名の長島温泉にて人材ビジネス協議会の会合があり、昨今の景気動向から、どの社長も厳しいコメントが多かった。いくつか有益な情報交換が出来たのは嬉しかった。
土曜に東京にもどると、日曜は知り合いのチーム、8チームを集めて8人制のサッカー大会をみなとみらいで開催した。
以前からの友人であるKさんが、午前中は披露宴に出席しており、急いで駆けつけて試合に出たが、5分で転倒。骨折して、全治3か月となってしまった。
かくゆう私も、捻挫・半月盤損傷・肉離れとこの年までサッカーを続けているので、怪我はしょっちゅうだが、何故か長期離脱はない。
やはり年をとったら、無理は禁物。かわいそうなKさん・・・。
高校を出て初めて就職した歯科技工の会社は、入社半年で辞めてしまった。
全寮制で、朝は先輩の朝食を作ることからスタートし、中卒の先輩社員にこき使われ、夜10時位まで仕事をする。そんなタコ部屋のような生活だった。
でも、いま考えるとその半年は修行の段階で、決してもらっている給料以上に会社に貢献できていた訳ではないと思う。それでも自分の考え、わがままだけで退職した。
その後夜中までスナックで働きながら、次の仕事を探し、英会話のフルコミ販売や建材の営業を経て、リクルートにたどり着く事になる。
本当の意味で、会社に貢献できはじめたのはリクルートに入って2~3年位した、26才位からかもしれない。
バイトしながら高校にいったり、早くから社会に出たとは言え、結局それまではいろいろな人に支えられ、いろいろな人の迷惑の上に自分の人生はあったということだ。
そんなことに気づき始めたころ、その恩や感謝の気持ちは、自分の後輩やメンバーに伝えていこうと思った。結局そうやって受け継がれていく事で世の中は成り立っているような気がしたからだ。
だから「人様に迷惑をかけずに生きる」なんて、独りよがりなことは考えずに、すでに迷惑をかけているのだから、それに感謝して、次の人達に返していくことが大切なのだと思う。
「情けは人のためにあらず」という言葉があるが、これは人に情けをかけると、その人のためにならないという意味で捉えている人も多い。
実は違って、身の回りの人に情けをかけて生きていくことは、結局回りまわって自分のためになるという意味だ。
ただの1対1の損得ばかり考えるのではなく、もっと大きな意味での感謝や貢献を考えて生きて行きたい。
上海から昨日帰ってきた。
世界で一番高いビルの最上階でご飯たべて飲んだ、85階。泊まったのもそのビルの中にあるホテル、68階。
でもそのすぐそばに、さらに高いビルがもうすぐ出来る。
なんだか上海は、やはり勢いのある街だった。
1997年に、はじめてニューヨークに行ったときもインパクトがあったが、今回もそれに次ぐインパクトがあった。
今後、アジアが一つの商圏としてユーロのようになるかも知れないと思っているが、その中心は東京ではなく、上海になるような気がする。
上海で一番美味しく、みんな並んで食べるというショウロンポウの店にいった帰りに、街を少しブラブラした。
大衆食堂のような、大きなレストランがあって、ごったがえしていたので、興味本位で入ってみた。
その活気、人の数、そして何よりも驚いたのは、多くの人の食べる量だ。
バイキング形式なので、みんな自分のお盆をもって、その上に勝手に料理を取っていく。
絶対一口では食えない、超デカイ餃子が8つ。あんかけがたくさんかかった大盛りの焼きそば、坦々麺スープ。ショウロンポウ(これもでかい)4つに、肉の炒め物のおかず。
だいたい、これが平均的なひとり分のお盆に盛られている量だ。しかも、普通の若い女性がだいたいこのくらい、平気でモリモリ美味しそうに食べている。
なのに、ほとんど太っている人がいない? これはどうしてだろう。ウーロン茶のせいかな・・・?
これだけ食べても平気なくらい、毎日エネルギーを消費しているのだと思った。それだけ頑張って働いている。そして、美味しいものを食べられることを心から幸福と思い、また頑張る。
昨日より、今日。今日より明日が、必ずよくなることを信じて、毎日を一生懸命生きている。そんな人たちが死ぬほどたくさんいる街、上海。
実際に上海の人たちの年収は、この12年で、10倍くらいになっているらしい。(もちろん貧富の差もうまれているようだが)
彼らの勢いに、今の日本人は勝てるだろうか?
昭和の日本を、そこに見た気がした。
タバコを辞めて3年くらいたつ。
辞めようと思ってなかなか辞められなかったけど、何故かその時は
すっと 辞めることが出来た。
セルフイメージを変化させることで、自然に辞められた気がする。
ドラマや映画でかっこいい俳優が、何かのフシメにタバコを吸うシーンがあって
なんだかそういうイメージに引っ張られて吸っていただけのような気がしてきたからだ。
自分の中で、どういう自分でいたいのかを 問いかけてみた。
「シンプルに生きる事」
もともとシンプルな感じが好きだ。
洋服とかもあまり、ごちゃごちゃした感じは好まないし、アクセサリーも腕時計もしない。基本的にカバン も何も持たない。
物にこだわりがないので、車とかも普通に動けばよいみたいな感じ。
タバコを吸っていると、いつもライターがあるかとか、
タバコが切れないかとかを考えなきゃいけないし・・・・・・・。
何も持たずにシンプルに生きていくイメージが確認できたとき、自然にタバコはいらなくなった。
何かを持っていると、それを守りたくなる。
出来るだけ何も持たない方が、自然態でいられるのだと思う。