長男と次男がそれぞれ今年度進路の選択を迫られている。
それぞれ高校3年と中学3年。普通に言えば、受験なんだろうけど、我が家は自由で自己責任なカルチャーのため、必ずしも受験しなくちゃいけない訳ではない。(少なくとも私はそう思う)
以前政治家と社長の集まる会合で、今の教育に必要なことはと聞かれて「選択肢の多さとやり直しの利く仕組みと文化」と答えた。
今の日本の教育だと少なくとも高校3年までは、みなと一緒でないとすでに違和感をもたれる。イワユル落ちこぼれ的な感じ。
大学受験時にはじめて浪人がある程度一般的になる。そして社会に出て30代、40代になると2~3年の年齢差や卒業年度の差はそれほど意味をもたなくなる。
そこにいたるまでに、1年の差を違いではなく、遅れと考える教育を死ぬほど受けているので、そういった概念を打ち壊し、柔軟な発想や、周りに対する見方を覚えるのに苦労することになる。
中学卒業で大工の修行にでて、やり直しで高校に入りなおして、3年遅れで受験とか。進学高から一転して料理の修業に出てみるとか・・、。そういったことがもっと自然に起こって、またそれを寛容する大人たちが増えればよいのにと思う。
エムエムで社員を採用するとき、一度オフコースした人材には注目することが多い。規定の路線から離れた人生を送ることで、自分のそれまでのすごし方を客観的に見たり、自己対話する機会が訪れることが多いからだ。そういった経験に裏付けられた考え方は、ただ世の中の流れやはやりに対応したものの考え方をしてきた若者くらべ強く、深いことが多い。
何はともわれ選択枝をいくら広げても、それを理解しまたやり直しをすることを本気に受け入れる大人たちが増えなければだめなのだと思う。
日本でベンチャーが育たないのも、そんなところに原因があると思う。
ブログの移動とかがあり、久々の更新となった。
上場企業の業績悪化決算の発表、新型インフルエンズの流行、鳩山民主党の発足、世の中は相変わらず混迷の様相だ。
エムエムもそんな時代の中、新しい成長への道筋を目指しスタートを切っている。しかしまだまだ山の頂は遠い。進んでいる感じはするが、途中が雲にかかっていて、いつたどりつけるのかは不透明だ。見えている頂上を信じてすすむしかないのだと思う。
去年の年始に書初めした「聡明、真摯、潔く」。
何か考えるとき、判断するとき、この言葉を最近よく思い出す。(自分で創った言葉ですが)
先日いつも行く居酒屋の社長ともこの話になった。
1.聡明に考える
何かに取り組むときに、その可能性やリスク、やり方などをちゃんと考える。もちろんこれは当たり前だ。ただその前に自分自身がどういう状態にあるのかを客観的にみるのが、聡明に考えることだと思う。
何かにこだわりすぎていることはないか?
昔からの既成概念に縛られていないか?
自分の意見に必要以上に固執していないか?
深く、深く問いかけていくと、本当にそれをやりたい理由は、別なところにあるのではないか?
本当は、疑いや、不安があるのに、あえてそれに目をつぶろうとしてはいないか?
等々などである。
2.真摯に行動する
考えがまとまったら行動する。しかしただ頑張るのではない。
よくあるのが、自分はきづいていないが、頑張っているふりをしているだけ。
自分が頑張れる領域だけで努力してマスターペーションになっている。
等である。
多くの場合重要なのは、途中で起こる、問題や、やっかいな人、いいづらい事などに、どう立ち向かうかである。
そういう時に、逃げてしまうか、真摯に立ち向かうかで、大きく結果は変わってくる。
うそをつかず、自分を大きく見せようとせず、課題や人にまっすぐに向かい、言うべきことは言い、配慮すべきことは配慮する。そうした真摯な姿勢がよい結果を生む。
3、出た結果には潔く
聡明に考え、真摯に立ち向かって行動したとしても、それでも必ずよい結果が出るわけではない。
それがビジネスであり、人生だと思う。
問題はその結果をちゃんと受け止められることだ。
必要以上に自己責任を追求し、落ち込むことはない。(落ち込むふりをする人もよくいるが)
かと言って、自分の心に言い訳をして、他者責任だけを考えるのも最低だ。
結果は結果として、受け止め。(もしすぐにそういう気持ちになれないときは一度離れてみることも大切だ)できているところと、そうでないとこに分け、客観的に分析すること。またそれを回りのメンバーと共有することによって、どんな結果も価値に変わっていく。
厳しい時代でリスクを恐れる人も増えているが、こういう時代だからこそ、「聡明、真摯、潔く」の気持ちで、あえてリスクに挑戦していきたい。