2ヶ月に1回社長が全国から集まるいつもの会合で、大分の湯布院に行ってきた。今月の18日に見事マザーズに上場した、社長も参加した。
この会に入っている社長では6社目となる。
一方業績が不振で、みんなに相談している社長もいた。なんとか乗り切って欲しいと思う。
10年以上経営をやっているといろいろなことがおこる。短期的な視点で動くのではなく、事業の継続と社員の幸福を第一に考え、ひとつひとつの事象に真摯に対応していくことだと思う。
順風に流されず、逆境に負けず、自然態で行きたい。
リクルートが発行している求人情報誌「Bing(ビーイング)」が廃刊されると、先日、日経新聞で報じられていた。
その記事を見て、20年ほど前「Bing創刊プロジェクト」のメンバーとして過ごした、数週間を思い起こした。
たしか1986~1987年くらいだと思うけど、当時はまだインターネットはなく、転職情報は市販されている雑誌媒体が中心だった。リクルートは、「週刊就職情報」「とらばーゆ」「ベルーフ」という3つの正社員向けの転職情報誌を出版していた。競合には学生援護会(現インテリジェンス)の「DODA(デューダ)」や「サリダ」があった
そんな中、当時リクルート社長であった江副さんの「就職情報とベルーフ(技術者向け)を、ひとつにして最強の転職情報誌をつくれ!」との号令のもと、新しい媒体の検討が始まった。
経営層により、媒体コンセプトやネーミングがだいたい決まると、各営業所の主要営業メンバー及びスタッフ部門の若手が召集され創刊プロジェクトがスタートした。私も当時、リクルートの就職情報誌事業の横浜営業所に在籍しており、お声がかかり召集された。
どういう趣旨で選ばれたかは未だ不明だが、集められたのは、営業拠点のリーダークラス、企画部門、編集部門、販売部門等の同じく中堅クラス。年齢でいうと当時みんな27~28才くらいで、新卒、中途、アルバイト上がりの社員メンバーと種々雑多なメンバーである。
何故か課長職(ラインでは営業所長)は、企画課長一人しか入っておらず、ましてや部長クラスは一人もいない。
そうして集められた12~13名のメンバーで、具体的な情報誌の「台割(ページ立て)」や「広告のフォーマット」、「編集記事の方向性」「営業戦略」などが議論され決められていく。
私自身は営業だったので、営業手法の開発や新しい媒体のセールストーク作成やマニュアル作成などを行った。
かと言って日々の業務や営業目標がなくなる訳ではないので、拠点エリアで朝からずーと営業して、夕方メンバーの営業報告を聞いて、アドバイスをして。それから夜7時くらいに横浜の営業所を出て、新橋の本社に集まる。そしてプロジェクトの会議や打合せを行い。夜中に終わって、ちょっと飲みに行ってまた仕事の話(結局飲み屋でも打合せ)をして帰る。
ギリギリ新橋から終電に乗って、家まで帰るのがめんどくさく、営業所がる横浜駅近辺のサウナに泊まって、また翌朝朝8時には、メンバーのロープレ指導をしている。
そんな日常が続いた。
しかし、だいたいプロジェクトというのは、予定どおりに進まないもので、Bingの営業活動スタートまでに、いろいろなことが間に合わない感じになってきた。
ちょうどそんな時期に祭日を含んだ3連休があった。
プロジェクトの打合せの最中に、私と同期ぐらいのあるメンバーが
「これは3連休全部出ないと、間に合わないな・・」
それを聞いて、ある先輩メンバーが
「えっ、だってスキーの予定入れてるし」
「スキーなんて、いつだっていけるじゃん。創刊は一回だけだろ!」
と、件のメンバー。
上司がいる訳でもないので、勝手にみんなも納得し、結局3連休はすべてプロジェクトの仕事となった。
そんな思いで発刊された、創刊号のBing。記録的な売上を達成した。
また、私自身は「営業勉強会キャラバン」と称して、関東中の営業所を新しい媒体の勉強会をするために夜回った。
大変な思いだったし、休日出勤の申請をしたかどうかとかも覚えてないし、今考えると、そもそも営業拠点の営業リーダーのミッションとは違うのではとか、いろいろあるけど・・。
でも、そういっためったにないタイミングで、プロジェクトメンバーに選ばれ、活動できた「誇り」みたいなもの、そうした「充実感」「成長感」の方が大きかったと思う。
そんなBingが20年の歳月を経て、廃刊してしまう。
少し寂しい思いもするが、その時の経験は生涯消えないものになった。