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勉強するということ/人の成長について

 司馬遼太郎の歴史小説によると、その昔の勉学とはいわゆる「知識」を学ぶものではなく、偉人の書籍や歴史文献から、人間の本質的な価値や欲望、危機的な状況における精神的な対応や、死生観など、生きていく上での「価値観」や「スタンス」のようなものを学ぶことだったようだ。

 昔は学校でもそんなことを教えていたし。子供たちは、近所のちょっと怖いおじいさんから学んだり、スポーツや道場といわれるところで学んだりした。(今もぜんぜんないわけではないが・・)

 よい話かどうかは別にして、昔はすごい不良で問題児がいると地場のやくざ屋さんの親分のことろへ預けて修行させるようなこともあったようだ。

 生きる上で必要な本質的なことを子供たちが学べる機会が、以前の方が多くあったのかも知れない。

 今は変な言い方だが、健全な状態で疑問をもたずに学校生活を送り、普通に受験とかして社会にでると、あまり本質的なことを学ぶ機会が少ない。

 多少オフコースしたりして普通ではない世界に身をおいたりした方が貴重な経験を積むことが出来る。
 
 ただ一度そういった世界に踏み込んで、戻ってこれないリスクも背負うが。

 自民党総裁候補の安倍さんの演説の中に、「やり直しの聞く社会」みたいのがあったがおおいに賛成だ。

 普通の学校生活などレギュラーな場面に、イレギュラーな経験を積む機会を混ぜるとか、一度オフコースした人が戻りやすくなるような社会の仕組みや文化を作らないと、いざというときに本質的な対応ができる、世に役にたつ人は育たないのではと思う。

 成長したいと思う人は、あえてそういったリスクのある機会を時には選択していくことも必要ではないだろうか。

 

2006.09.04
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