ワールドカップ第3戦。2点差以上の勝利が絶対条件。もう見守るしかないよね。
ところで見守るって、どういうことなんだろう。と、ふと思った。
「見守る」って言葉の中には考えてみればいろいろな深い思いがあると思う。
親が子供を見守る。上司が部下を見守る。ベンチャーキャピタルが投資した会社を見守る。
そこには信頼や愛情、そして人は最後は自分で頑張るしかないという本質な孤独感、またそれに対するやさしさなどが含まれる。
よい見守り方の出来る人はすばらしいと思う。
自分の影響力を誇示したいだけだったり、常識的な正解や知識を表現することで自己満足を得ようとしたり。そういう認識もなく、ともかく自分の頭に浮かんだことを、自分が言いたいタイミングでアウトプットすれば役に立つと思っている人も多い。
ねっこにあるのは、こちらから相手を教育できるとか、正解を伝えれば解らない方がおかしいと言った人に対する思い上がりなのかも。
人は外側から変えられない。内側から変化、成長するの応援することができるだけだ。
だから信頼し、愛情をもって見守ることが大切。そして起きた現実を一緒に受け止めるしかない。
だからもう最後のブラジル戦は、見守るしかない。どんな結果だとしても。それがサポーターの努め。
親の務め。上司の務め。 そんな気がする。